貸事務所のこんな運用

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また、ある段階にしばらくとどまるかと思うと、プロセスの中を、行ったり来たりすることもある。
だが、遅かれ早かれ、彼らは5つ目のプロセスで痛みを伴う現実を受け入れるのだが、人生を続けるには、意識するしないにかかわらず、最初の4つのプロセスを通るものだし、通ることが大切だ。 いったん、悲しみが自然で健全なプロセスである。
貴重な成長の源とわかれば、喪失感から立ち直ろうとする人に対して、忍耐強くなれるはずだ。 悲しみのプロセスをたどるとき、強烈な影響を与える状況があり、それは複雑なものだと気づいているなら、相手と、心の奥深くでつながっていればいい。
遺族に救いの手を伸ばし、助けになろうと努力する自分により満足できるのは、悲しみをそうしたプロセスと見なすからだ。 大切に思う人が愛する人に先立たれて悲しんでいるとき、悲しみにふたをして、深い心の痛手から守ってあげたいとすら思う。
いい人は、痛手を避けることを気にしながら、そういう自分を情け深いというより、思慮深いと思いたがる。 痛みを抱える人を守るのは、やさしい行為だと見なすのだ。
しかも、悲しみの渦中の本人も、痛みが続く状態よりも守られるほうを望むために、より一生懸命になる。 さらに、その守るという戦術は、いいことだと世間に支持されるのだ。

それが間違いだというのは、遺族が必要とするものを与えず、むしろ彼らの心の回復を遅らせるからだ。 社会に認められ、その行為がいつも真剣な気持ちに根ざしているので、遺族を守ることは問題とは思われない。
また、健全で、ほんとうの意味での助けと混同されているため、手厳しい批判を受けずにすんでいる。 だからこそ、先へ進む前に、なぜ遺族を守ることは間違いなのかはっきりさせるべきだ。
まずは、ふだん私たちはどのように遺族へ接しているかを眺めてみよう。 いい人は悲しむ友人に対して、気丈に見えるよう努める。
じつはそうではないのだが、自分が何をしているかわかっているようにふるまう。 場違いなことを言ったりしないかびくびくしていても、平静を装う。
何をすれば相手を痛手から救えるかわかりもしないのに、自信があるように見せるのだ。 当然、わざとらしいそぶりはまがいものであって、そうした見せかけはいい人を現実ばなれした不可解な存在に思わせるだけで、遺族との間に見えない壁をつくる。

まして、相手がいい人の見せかけの強さを間違って認めたとき、いっそう自分自身の弱さを感じるようになる。

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